一休さんの正体は?その裏話は本当?

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一休さんというと、あわてない、あわてない、一休み!一休み!という名言で始まる、アニメの一休さんが、私のイメージです。

でも、あの一休さんは、実在したお坊さんの一休宗純さんがモデルではあるものの、とんち話等の内容はフィクションです!


では、実際の一休さんの姿はどうであったのか?


調べてみました。

皆さまのお役に立てると嬉しいです。


それでは、どうぞ!

 

一休さんの正体とは?カッコいい人生だった!

 


一休さんと聞くと、あたまがくりっとしていて、可愛らしく、とんち勝負をしている姿を思い浮かべる方が多いと思います。


それは幼少の時の姿ですが、おとなの一休さんの方が私は好きです。

めちゃくちゃ、生き方がかっこいいんです。


そして、世の中のきれいごとに対する反骨精神。

これが、庶民に愛される一休さんの姿です。

20代の時は、とにかく一所懸命修行に励み、二人の師匠と出逢ったことで、本物の禅を追及しました。


①謙翁宗為(けんおうそうい)

②華叟宗曇(かそうそうどん)

 

一休さんは、この謙翁さんを慕っていましたので、師匠が亡くなった時は、悲しみで後を追おうとしたくらいです。

本当に大好きな師匠だったのです。

 

その気持ちわかります。

 

そして、華叟という2人目の師匠に出逢います。

 

そこで、厳しい修行をする訳ですが、修行では、禅の公案(こうあん)という課題がでます。

 

それに対して、次の様に答えました。

 

うろじより、むろじへ帰る、一休み、雨降らば降れ、風吹かば吹け。

 

この意味は、人生とは、この世からあの世へ行くあいだの、ちょっとした休み時間。

雨が降ろうが、風が吹こうが大したことはない、と答えたことから、一休と名前を授かりました。

 

どうも、深夜に琵琶湖のほとりで、座禅をしていて、カラスの鳴き声を聞いた瞬間に悟ったようです。


そして、このふたりの師匠がなくなった後は、庵(いおり)から旅立ち、民家に居候したり、山中に隠遁したり、気ままな生活をしながら、自ら破戒を宣言して、肉食・妻帯をして、風貌な暮らしをしました。


今で言う、ヒッチハイクや野宿をして暮らしていたようなイメージですね。


そして、破戒として、肉食と妻帯。

これは、虚飾を廃した本物の禅を追及する姿勢の表れ。


また、形ばかりの仏法を説く僧へ激しく罵るなど、反骨精神で仏の道を説きました。

 

それから、なんと師匠からいただいた、悟りの証明書を燃やしてしまったこともあります。

めちゃくちゃ、やんちゃな生活してました(笑)。


晩年66歳には、大徳寺内の徳禅寺の住持となり定住しました。


また、81歳で後土御門天皇によって、大徳寺の住持になり、応仁の乱にて、荒廃した大徳寺の復興にあたりました。


そして、88歳でこの世を去ったのです。


死に際の言葉として、「死にとうない」と言ったのがとても有名ですね。


お坊さんが、死にたくないというのは、通常言えません。


その様なことから、恰好をつけず、本音でこの世を去った一休さんはかっこいい。

 

一休さん裏話

 


なぜ、裏の話かというと、そもそも、世の中は形式や虚飾の仏法が多数派のなかで、いわゆる少数派である、本物禅を追及したものの、自ら、遊び人・酒狂い・芸能狂いと公言しているように、仏教の修行とは、かけ離れている生活をしていたにもかかわらず、天皇から大徳寺の住持まで任ぜられるのはおかしい。


その謎は、出生の秘密にありました。


どうも、後小松天皇のご落胤とのうわさも。

その影響は大きいですね。きっと。(納得)

 

一休さんの名言とは?

 


一休さんは、めちゃくちゃ面白い名言をたくさん残しています。


<エピソードⅠ>

友人の蓮如が留守の時に、本願寺の居室にあがりこみ、蓮如が所有している、阿弥陀如来像をまくらに昼寝をしていたところ、本人が用事から帰り、その様子を見て、俺の商売道具に何をする!と言って、二人で大笑いした話。


<エピソードⅡ>

一休が臨終に際して、どうしょうもなくなった時に開けなさいと弟子に渡した遺書には、大丈夫だ、心配するな、何とかなると書いてあったこと。(笑)


<エピソードⅢ>

お正月のめでたい時に、杖の先にどくろをつけて、門松は冥途の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなしと叫びながら、ねり歩いたようです。


いわゆる、火の用心、ご用心という、冬に町内会を練り歩く人と同じですね!(笑)


<エピソードⅣ>

生まれては死ぬるなり、釈迦も達磨も猫も杓子も。

 

<エピソードⅤ>

心とは、いかなるものを、言うならん。

墨絵に書きし、松風の音

 

<エピソードⅥ>

この道行けばどうなるものかを、危ぶるなかれ、危ぶめば道はなし、踏み出せばその一足が道となる、迷わず行けよ、行けばわかるさ。

 

これは、まさに名言ですね(感動!)。

 

ちなみに、芸能への理解も深かった一休さんの周りには、当代随一の芸能者たちが集まっていました。

能楽師の金春禅竹(こんばるぜんちく)や連歌師の杉原宗伊(すぎはらそうい)、画家の墨渓(ぼっけい)、詫びちゃの始祖、村田珠光(むらたじゅこう)などが自然と集まってきました。

 

当時の芸能者は、自分たちの職業は狂言にすぎず、嘘をついてはならないという妄語戒(もうごかい)の罪で、地獄へ落ちるのではないか?という不安があったからです。

 

その様な芸能者に、一休は本気で芸能を愛する心の中にも仏さまの道があるのだと教えました。

みんな、自分の仕事に誇りを持てたと思います。

 

一休さんとは?~まとめ~

 


1.一休さんの名前は、一休宗純(いっきゅうそうじゅん)。


2.二人の師匠は、謙翁宗為、華叟宗曇。


3.自ら破戒を宣言して、肉食・妻帯をして、風貌な暮らしをしていたが、66歳に徳禅寺、81歳で大徳寺の住持になる。


4.88歳でこの世を去った。死に際の「死にとうない」と言ったのが有名。


5.後小松天皇のご落胤とのうわさも。


6.一休さんは名言がたくさんある。

一休さんのお話は、どの話を聞いても面白い。


これは、とても民衆に愛されていた一休さんだからこそ、今でも、その伝説が残っているのだと思います。


屏風の絵から、トラが抜け出すので捕まえてほしいというようなお話。


まさに、今で言う都市伝説の様ですね。


信じるか、信じないか!それはあなた次第です。


最後まで、お読みいただき、ありがとうございました。

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