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臨済宗とは?曹洞宗や黄檗宗との違いは? | 仏教の世界
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臨済宗とは?曹洞宗や黄檗宗との違いは?

この記事は3分で読めます

臨済宗を始めた栄西は、最初座禅にはまったく興味がありませんでした。

ところが、運命のいたずら。

当時の中国である、宋の国から日本へ帰ろうとしたら、暴風雨にあい帰れず。

しかたなく、上った天台山で運命的な出逢いがあります。

そして、日本へ本格的な禅の教えを伝えることになります。

そんな、波乱万丈の栄西の物語。

ぜひ、お読みいただけると嬉しいです。

それでは、どうぞ!

 

臨済宗とは?

浄土系宗派の他力の教えとは逆に、座禅によって人の内面にある仏性(ぶっしょう:仏になる素地)を自覚して悟りを開こうという自力の教えを説くのが禅宗です。

 

つまり、自分の中にいる仏さまを、自分でさがそうという考え方です。

禅自体は、7世紀の道昭(どうしょう)や、天台宗の開祖、最澄(さいちょう)が日本に持ち込んでいますが、禅宗というかたちで定着するきっかけをつくったのは、日本臨済宗(りんざいしゅう)の開祖である栄西(えいさい)です。

 

備中国(現在の岡山県)の神官の子供として生まれた栄西は、14歳で比叡山(ひえいざん)に入り、天台宗(てんだいしゅう)を学びました。

そして、28歳で、わずか半年の滞在でしたが宋の国へ行き、天台山に登り、天台密教の典籍を持ち帰りました。
 
とても滞在が短かったんです。

この時に、当時宋の国で隆盛していた南宋禅の存在を知り、興味をもっていたようです。それでも帰国後に禅を学ぼうとした形跡はなく、密教の研鑽にあたっています。

やがて、47歳になった栄西は、インドの仏跡巡礼を志して再び宋へ行きます。

しかし、願いがかなわず帰国の途についたものの、暴風雨にあい、船は引き戻されてしまいました。

 

そこで、再び天台山に登ったところ、虚庵懐敞(きあんえしょう)に出逢います。

 

この時、密教も禅も根本は同じであると諭され、臨済禅を学ぶことになります。

 

栄西は、菩提達磨(ぼだいだるま)の言葉で、教外別伝(きょうげべつでん)、不立文字(ふりゅうもんじ)、直指人心(じきしじんしん)、見性成仏(けんしょうじょうぶつ)という教えを受け継ぐ臨済宗に共感しました。

 

これは、修法や経典によらず、ひたすら禅定して心を見つめ、自らの仏性に気づいて成仏するという意味です。

 

この臨済禅こそが、戒律の乱れた日本仏教界に必要だと考えました。

 

そこで、臨済宗黄龍派(おうりゅうは)の虚庵懐敞に師事し、5年の修行を終え、悟りを得たことの証明である印可(いんか)を受けた栄西は、帰国して、博多にわが国最初の禅寺と言われる聖福寺(しょうふくじ)の建立をはじめとして、九州各地に禅寺を開きました。

また、京に戻って布教を始めますが、反発した天台宗の働きによって、朝廷から禅宗停止の命令がでてしまいました。

 

これに対して、禅による国家の守護を説いた、興禅護国論(こうぜんごこくろん)を書き、最澄の仏法を復興することだと主張しました。

 

しかし、調停には聞き入れてもらえませんでした。

そこで、栄西は鎌倉幕府のもとへ訪ねます。

ひたすら禅定し、師から出題された問題(公案:こうあん)に取り組んで悟りを目指すという、修行方法は、武士の気風とも合い、鎌倉幕府2代将軍の源頼家(みなもとのよりいえ)や、その生母である、尼将軍と言われた北条政子(ほうじょうまさこ)の帰依も受けました。

 

その後、栄西は頼家の庇護で京都に建立された建仁寺(けんにんじ)の開山となりましたが、比叡山の勢力に配慮したため、このお寺を禅・密教・天台の三宗兼学の道場としました。

 

栄西は、臨済宗という宗派の高僧ですが、仏教思想という意味から考えると、天台密教と禅の思想を併せ持っていたと言えます。

いわゆる、禅のみを専修する純粋禅(じゅんすいぜん)ではなく、あくまでも学んできた天台教学や密教などとも並ぶ兼修禅(けんしゅうぜん)でした。

そして、政子の願いで建立した鎌倉の寿福寺(じゅふくじ)で75歳の生涯を閉じました。

 

臨済宗が純粋な禅宗となるのは、宋から蘭渓道隆(らんけいどうりゅう)や無学祖元(むがくそげん)が来日した13世紀後半以降となりました。

 

栄西は、2度目の宋留学から帰国する際に、お茶を日本に持ち込み、喫茶の風習を広めました。

また、吾妻鏡(あづまかがみ)には、栄西が二日酔いになった3代将軍、源実朝(さねとも)を茶で治したという記述があります。

その実朝に献上するため、茶の効能や服用法、栽培法などを記した日本初の茶書が喫茶養生記です。

 

曹洞宗や黄檗宗との違いは?

公案による問答を繰り返しながら、悟りを目指す臨済宗の禅(看和禅:かんなぜん)に対して、曹洞宗(そうとうしゅう)の禅は、ひたすら黙って壁に向かい座禅をする(黙照禅:もくしょうぜん)が特徴です。

 

黄檗宗(おうばくしゅう)は、禅宗の中でも、日本に最後に伝来した教えで、浄禅一致(じょうぜんいっち)、つまり浄土教と念仏、真言、道鏡などを融合させた教えです。

 

宗祖の隠元(いんげん)は、南無阿弥陀仏の名号を用いながら座禅を行なう念仏禅によって、信心に至れば、そこに悟りが開かれると説きました。

 

つまり、座禅と念仏で自分の中にある仏性に気づき、覚る教えです。

 

臨済宗とは?~まとめ~

いかがでしたか?

 

臨済宗とはなにか?まとめてみました。

 

1.座禅によって人の内面にある仏性(を自覚して悟りを開こうという自力の教えを説くのが禅宗

2.47歳で宋へ行き、虚庵懐敞に出逢い臨済禅を学ぶ

3.帰国して、博多にわが国最初の禅寺と言われる聖福寺の建立をはじめとして、九州各地に禅寺を開く

4.朝廷から禅宗停止の命令を受け、鎌倉幕府を訪ねる

5.頼家の庇護で京都に建立された建仁寺を開山し、禅・密教・天台の三宗兼学の道場とした

6.鎌倉の寿福寺で75歳の生涯を閉じた

 

栄西がいれたお茶は、どの様な味がしたのだろう?と想像したら、急に、和菓子とお茶が飲みたくなりました(笑)。

最後まで、お読みいただきありがとうございました。

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