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達磨(だるま)とは?四聖句の教えとは? | 仏教の世界
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達磨(だるま)とは?四聖句の教えとは?

この記事は4分で読めます

だ~るまさんが、ころんだ!

という遊びを小さい頃によくしました。

子どもから、大人まで親しまれているだるまさん。

実在した人物です。
しかも、中国禅宗の祖とも言われています。

どの様にして、禅を伝えていったのか。
また、とくに有名な4つの教えをお伝えします。

最後までお読みいただけると嬉しいです。

それでは、どうぞ!

 

達磨(だるま)とは?

 

願掛けでお馴染のだるまさん。

あの赤くて、大きなひげを生やしてまん丸のだるまさん。
 
縁起もので、選挙で当選したりすると、目を入れるあれです。
 

もともとは、中国に禅を伝えたとされる達磨(だるま)大師に由来します。
 
実在の人物ではありますが、数々の伝説があります。
 
生まれは南インド(現在のチェンナイマドラス付近)、その地域(香至国:こうしこく)の王子様として育ちました。
 
達磨大師は、六世紀初頭、海路で中国南部に渡って禅の教えを伝えに行きました。

梁の国の武帝に招かれて教えを伝えましたが、その教えが武帝の好むものではなかったため、残念ながらここでの教えをあきらめて北魏に新天地を求めて行きました。
 
そして、少林寺拳法で有名な嵩山(すうざん)少林寺で修行に打ち込みました。
 
この時に、9年も座禅を続け、手足が腐ってしまったという伝説ができ、今の縁起物である、だるまさんの姿になったとされます。
 

禅は、お釈迦様から始まり、魔訶迦葉(まかかしょう)、阿難(あなん)らの弟子を経て、達磨大師で確立されました。

そのため、達磨大師は中国禅宗の祖師とされ、禅のエッセンスが詰まった四聖句をこの世に残しました。

 

四聖句とは?

 

 
四聖句とは次の4つの教えの事です。

 
1.不立文字(ふりゅうもんじ)

 

経典などの文字にとらわれず、座禅によって真理を直接体験することが大切という意味です。

お釈迦様が座禅をして悟ったように、自ら座禅を体験し、悟ることが大切と教えました。

簡単に言えば、実践と体験が大事なのだと言っています。

日本の曹洞宗の開祖、道元のエピソードにもあります。

修行中の道元が、古い語録を読み込んでいる時に、そんなに本を読んでどうするの?と質問されて、書物に頼っていた自分に気づき、座禅で悟れば、書物など必要ないと悟ったとのことです。

もし自分であれば、素直ではないので、人に言われて余計なお世話。

本を読みたいから読んでいるの、邪魔しないで、というでしょう(笑)。

道元は、本当に素直な方だったのだと思います。

 

 
2.教外別伝(きょうげべつでん)

 
文字や言葉に頼らず、心から心へ直接伝えられることの中に重要な教えがあるという意味です。

言葉や文字に頼らず、教え以外の教えに気づくことが大切です。
 

世尊粘華(せそんねんげ)あるいは、粘華微笑(ねんげみしょう)というお話があります。

お釈迦様が、大勢の弟子を集めた説法の際に、何も話さず、ただ華(はな)を示しただけでした。

弟子たちは、ぱか~んとしていましたが、魔訶迦葉だけがにっこり微笑みました。

その時に、お釈迦様は、私が悟った真理や方法は、言葉では伝えきれるものではない。
これを、魔訶迦葉に今伝えたと言いました。

魔訶迦葉は、我を忘れて華に見とれたとき、自己と華が一体となって無心の境地に至ったそうです。

これはお釈迦様の教えと気づき、嬉しくて微笑んだのです。

これを教外別伝です。

 

3.直指人心(じきしにんしん)

 
あれこれと考えずに、座禅によって自らの心を直接見つめることが大切と言う意味です。

直に指された心(自分の心を見つめよ)という意味。

誰でも心の中に、仏さまの心がある。
それに気づくことが悟りです。

だから、自分の外に悟りを求めても見つからないということです。
 
南嶽磨塼(なんがくません)というお話があります。

座禅はしているが、全然さとりを開けない馬祖(ばそ)というお坊さんがいました。

師匠の南嶽は、馬祖の前でいきなり瓦を磨き始めました。

馬祖は、師匠何をされているのですか?と質問しました。
 
すると師匠は、瓦を磨いて鏡にすると言いました。
 
馬祖は、瓦を磨いても鏡にはなりませんと言いました。

そこで、師匠は、馬祖がしているのも同じこと。

自分に仏さまの心がないと思って座禅している。
それでは、悟りは開けないと言いました。
 
つまり、師匠は自分の心を見つめて修行しなさいと言いたかったのです。

自分を見つめること、それは時にいやな事もあります。
見たくない自分もいると思います。
 
でも、その先に仏さまの心があり、見つけることで悟れるのだと思います。

 

 
4.見性成仏(けんしょうじょうぶつ)

 
自らの中に本来備わっている仏さまの性質に気づき、出逢うことを通して悟りに至ることができるという意味です。
 
この仏さまの心は、誰でも持っているもので、煩悩に汚されるものではありません。

例えると太陽の光が仏さまの心、お空に浮いている雲が煩悩とします。

地上が自分の心だとすると、曇りの日は煩悩によって心が暗くなりますが、晴れの日は、仏さまの心が全開で心も明るくなります。

 

これと同じです。

まとめると、4つの教えには、経典に書かれた教義を研究し、理屈を議論するよりも、座禅を実践することで、直接心理に到達しようという達磨大師の想いが込められています。

 

また、一番弟子の慧可は、自分の腕を切り取って弟子入りしたという言い伝えもあります。

この時に、達磨大師は、慧可に対して、お前は私に何を求めているのか?と言いました。

 

慧可は、私の心は不安だらけです。
この不安を取り除いてくださいと言いました。

どのとき、達磨大師は何ていったと思いますか?

わかった。了解。そんなの簡単、簡単。

その不安な心を持って来てくれれば、心やすらかにしてあげるよと言いました。
 
そこで、慧可はさんざん苦しみ、何とかして不安な心を持って行こうとしましたができませんと、ギブアップしました。

達磨大師は、OK。

これで、あなたの心は安らかにできたと言いました。

 

つまり、達磨大師は、姿や形のない心にこだわって、囚われるので不安や悩んだりするんだよ、と言いたかったのです。

達磨大師は、一番弟子の慧可(えか)に教えを伝授し、150歳で亡くなったとされます。

 

まさに伝説の世界ですね(驚)。

 

さらに、聖徳太子が救った飢えた異人が達磨大師の化身であったという言い伝えにより、その地に達磨寺(奈良県王寺町)が建てられました。

 
だるま伝説、絶好調ですね。

 

 

達磨大師とは?~まとめ~

 

 

1.達磨大師は、南インド(現在のチェンナイマドラス付近)香至国の王子様として生まれる。

2.6世紀初頭の中国南部に渡って禅の教えを伝えた。

3.以後、禅宗の始祖・菩提達磨(ぼだいだるま)、通称達磨大師で知られるようになる。

4.梁の武帝に教えを請われるが、理解されず、嵩山少林寺で9年間座禅に取り組む。

5.弟子に慧可に教えを伝え、150歳で亡くなる。

 

手足が腐るまで、修行を続けた達磨大師。
 
その信念が今でも、皆に願掛けの縁起物として親しまれる理由だと思います。

最近では、赤だけではなく、黄色や緑、青、黒など様々なカラー達磨さんが存在します。

ちなみに、黄色は金運がよくなるそうです。

ひとつ買ってみたくなりました。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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