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隠元とは?伝えた文化や黄檗宗の教えとは? | 仏教の世界
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隠元とは?伝えた文化や黄檗宗の教えとは?

この記事は3分で読めます

隠元豆ってよく聞く名前ですね。
 
それを日本に伝えたお坊さんが隠元です。

隠元が始めた黄檗宗(おうばくしゅう)は、日本に最後に伝えられた宗派で、禅と浄土教を融合させた独自の教えを展開しています。

その教えと、隠元の生涯をまとめてみましたので、最後までお読みいただくと嬉しいです。

それでは、どうぞ。

 

隠元とは?

 

1654年、中国の黄檗山萬福寺(おうばくさんまんぷくじ)に住持していた、隠元和尚が日本へやってきました。
 
隠元和尚は、明の時代に福建省に生まれました。
 

29歳で萬福寺に出家し、中国の臨済宗の楊岐派の流れを汲む費陰道容(ひいんどうよう)のもとで禅を学びます。

34歳で悟りをひらき、43歳で臨済の正法を継ぎ、3年後、萬福寺の住職となります。

 

つまり、隠元は臨済宗の系統を継いだお坊さんだったのです。

 
その頃、長崎興福寺にいた逸然(いつねん)を中心とする長崎に滞在の中国人の寺院3寺が隠元のお弟子さんである也懶性圭(やらんしょうけい)を日本へ招きました。

 

ところが、渡航中に難破し性圭は亡くなってしまいます。

 

そこで、逸然らは、隠元和尚の来日の強い呼びかけをしました。

 

 
当時の日本は江戸幕府が定めた寺請制度(てらうけせいど)があり、中国人も自分達のお寺をつくる必要性があり、そのために、ぜひ来てほしいという、強いオファーがあったからです。

 

そして、これが断り切れなくなり、3年の約束で63歳という高齢ではありましたが20人のお弟子さんと日本へ来た隠元和尚。

 

4代将軍の徳川家綱(とくがわいえつな)や、後水尾天皇(ごみずのおてんのう)の帰依を受けまして、なんと京都の宇治(うじ)に黄檗山萬福寺を建てます。

 

そこで、住職となって、浄土教と密教を加えた新しい禅を伝えていきます。

 

1663年には、1000人へ戒を授けるなど、日本の黄檗宗は広がっていきます。

 

そして、中国建築や書画など、禅文化を伝える役割も担いました。

 
隠元豆や普茶(ふちゃ)という精進料理を伝えたのも隠元です。

 

他にも隠元の名前のついた物は結構あるんですよ。

 
隠元頭巾、隠元帽子、隠元笠、隠元蒲団、隠元唐紙、隠元行灯、隠元金づち、隠元茶、隠元豆腐。

 

まさに、隠元ブランドですね。

現代であれば、隠元和尚のマークが入った包装紙に包まれてお土産として売られていそうです。

当初は、お弟子たちに3年で帰国すると伝えた隠元和尚。

 

日本に20年滞在し、戻ることなく82歳で亡くなりました。

 

隠元が伝えた文化や黄檗宗の教えとは?

 

隠元が伝えた文化の影響は、けっこう大きかったのです。
 
1.木魚に合わせて読経を始める

2.座禅堂と食事・睡眠の場所が別になる

3.正面を向いた肖像画が描かれる様になる

4.煎茶道が始まる

5.油脂やくず粉を使った中国風の精進料理である普茶料理がもたらされ


 

隠元が伝えた黄檗宗の教えは、禅宗の教えでは日本に最後に伝わったものです。
 

臨済宗の考えが元に泣てはいますが、臨済宗や曹洞宗の教えとは違う道を示しています。

 
特徴としては、浄土教と念仏、真言や道教が融合されたイメージです。

 
隠元和尚は、南無阿弥陀仏の名号を用いて座禅を行なう念仏禅によって、信心に至れば悟が開かれると教えています。

 
言い換えると、私達が本来備えている仏性(阿弥陀仏)を座禅と念仏によって見出し、自分の心の中の浄土を明らかにし(唯心の浄土)、心の中の阿弥陀仏に気づくと言う教えです。

 

これを、「己身弥陀(己の身を阿弥陀様とする)」、「唯心浄土(浄土は心の中にある)」と言います。

 

つまり、自分とは何かを明らかにし、自分の仏性を磨いて修行に励もうということです。

 

隠元とは?~まとめ~

 

 

1.29歳で萬福寺に出家。

2.中国の臨済宗の楊岐派で禅を学ぶ。

3.34歳で悟りをひらく。

4.萬福寺の住職となる。

5.長崎興福寺の逸然らにより、日本へ呼ばれる。

6.63歳で来日。

7.京都宇治の黄檗山萬福寺を建てる。

8.住職となって、浄土教と密教を加えた新しい禅を伝える。

9.黄檗宗を広げるとともに、中国建築や書画など、禅文化を伝える役割も担った。

10.82歳でなくなる。

いかがでしたか?

63歳という高齢にも関わらず、命がけで日本へ渡来し、新しい文化を作ってしまうエネルギー。

  
まだまだ若い私としては、実に負けられない。

隠元和尚の生涯は、私をそんな気持ちにさせてくれました。

 
みなさまはいかがですか?

最後までお読みいただきありがとうございました。

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